脇田和(わきた かず)略歴
 
   
1908年 東京に生まれる。
1923 (15才) ベルリンに渡航。ドイツ帝室技芸員マックス・ラーべスに師事。
1925 (17) ベルリン国立美術学校に入学。
■NEXT
 
   
1930 (22) 同校から金メダルを贈られて卒業。帰国。
1932 (24) 第8回太平洋画会展に出品。日本での公募展で初入選。
■BACK ■NEXT
 
 
1933 (25) 第20回光風会展で、光風会展賞を受賞。会友となる。
1934 (26) 大森区久ヶ原にアトリエをかまえる。猪熊弦一郎、長谷川三郎らと交友。
1936 (28) 猪熊弦一郎、小磯良平ら8人の仲間とともに新制作派協会を結成(現在:新制作協会)。
第1回新制作派会に、「ジャズバンド」「ダンス」の二部作と「二人」を出品する。
以後、逝去するまでほぼ毎年出品。
■BACK ■NEXT
 
 
1937 (29) ブブノワ女史に多色石版画の指導をうける。
1943 (35) フィリピン、マニラ陸軍報道部勤務。44年 内地連絡のため帰還。
1945 (37) アトリエが戦災で消失。戦前の作品の大部分を失う。神奈川相模湖付近に集団疎開。49年世田谷のアトリエ付き住居を買い求め、疎開先から帰京。
1951 (53) 第1回サンパウロ・ビエンナーレ出展、52年パリのサロン・ド・メ、ピッツバーグ国際展参加。 
1955 (47) 第3回日本国際美術展で「あらそい」が、最優秀賞を受ける。 
■BACK ■NEXT
 
 
1956 (48) 第28回ヴェネチア・ビエンナーレ出展。
第1回グッゲンハイム国際美術賞で「あらそい」が日本国内賞に選ばれる。
米国務省人物交流部招聘により米国各地を視察旅行、アメリカ在住のアーティストとも交流を深める。
その後NY、パリに長期滞在。
1959 (51) 東京藝術大学の非常勤講師となる。
1962 (54) 長男を伴いインド、中近東、アフリカ、欧州、米国等回遊
■BACK ■NEXT
 
 
1964 (56) 東京芸術大学助教授就任、68年教授就任。
1966 (58) 渡米、メキシコを回遊
1970 (62) 吉村順三設計による、軽井沢のアトリエ山荘が完成(脇田美術館の前身)。東京芸術大学教授を退官。
1973 (65) 世田谷のアトリエを改装。
■BACK ■NEXT
 
 
1977 (69) 静養のためハワイ滞在、ハワイにて79年心臓バイパス手術を受ける。
1986 (78) 脇田和展(神奈川県立近代美術館、群馬県立近代美術館)。
1987 (79) ダラス、ニューヨークを経て、パリ、ベルリン、ミュンヘン、デュッセルドルフ等訪問。
1991 (83) 軽井沢に「脇田美術館」開館。勲四等旭日小綬章受賞。
■BACK ■NEXT
 
 
1995 (87) 日比谷の第一生命ビル本社に、脇田和作品の常設ギャラリーが開廊。
1998 (90) 文化功労者に選ばれる。
1999 (91) 東京藝術大学名誉教授に就任。
■BACK ■NEXT
 
 
2002 (94) 脇田和展(世田谷美術館)
2003 (95) 脇田和展(石川県立美術館)
2004 (96) 「マニラの情景 cut of manila」開催 (第一生命北ギャラリー、2005年軽井沢にて展示)
「卆寿を生きる作家展」(あさご芸術の森美術館)
「丸の内アートコレクション展-近・現代日本洋画の展開」 (東京ステーションギャラリー)
2005 (97) 脇田和展(space TRY)詩画集『女のひとと鳥』発刊
〜第69回「新制作展」出展。
同年 11月27日逝去
■BACK